●『NYから帰ってきちゃった』その1 ステナイデ0号掲載

ニューヨーク。なんてステキなひびきなのでしょう。本屋さんで「ニューヨーク特集」なんてタイトルの雑誌を見ただけで、思わず手に取ってしまう人は多 いはず。そのくらい、いまもニューヨークって場所は日本人にとって魅力的な街なのでしょう。

わたしはその魅力的なNYに8年間住んでいました。けっこうな年齢で、しっかり自分の価値観が出来上がってしまった状態でこの街に移り住んだものだから、毎日が驚きの連続。「なんだこりゃあ?」とか、「日本じゃありえないー!」みたいな事や場面に出くわすことしばしば。そして少しずーつ「ニューヨーク特集」のイメージとはだいぶ違うじゃーんって思い始めて、逆に日本という国のすごさが、すばらしさが分かってきたのです。ほら、よく言うじゃないですか、ふるさとは遠くにありて思うもの。え?ちょっと違ったかなぁ。ま、要するに、一度外に出て、日本というふるさとの良さがひしひしと実感できるようになったわけです。ちょっと大袈裟に言えば、「宇宙に出てみたら、なんと地球の青く美しいことか!」という驚きに匹敵する大発見、だったのです。わたしたち日本人の習慣の内に、つまり普段なにげにやっていることや仕草が、いかにステキで思いやりのある行為だってことが分かるようになってきたのです。そうすると、日本人である自分が、とても誇らしく思えてきたのです。

さて、わたしが見てきた生のNYをみなさんはどんな風に受け止めるのでしょうか?

NYで暮らす、と言えばまず食事。スーパーマーケット通いは欠かせません。週末になると一週間分の食材をまとめ買いする夫婦でスーパーはにぎわいます。その食品の量たるや半端じゃない。大きなカートに山積み。2リットルのコーラ5本、2リットルのセブンアップ3本、牛乳1ガロン2本、オレンジジュース1ガロン3本、冷凍食品20箱、TVディナー10箱、牛乳混ぜるだけでできるマフィンの素3箱、トイレットペーパー24ロール、ペーパータオル12ロール、アイスクリーム巨大カップ3箱。だいたいそんなものがうず高くカートに積み込まれるのです。

え、野菜は?お肉は?魚は?と疑問に思ってはいけません。そう感じてしまうのは、あなたが、わたしが日本人である証拠。国際人ニューヨーカーは四角い箱に入った食品だけを選ぶのが常識。彼らは間違っても自分の家でクッキングするなんてダサイ真似はしないのです。

なぜか分かりませんが、わたしはついぞアメリカのマンションのシステムキッチンにて・換気扇・というものにお目にかかったことがありません。最初の頃は、いつもピカピカに磨き上げられたオーブンやお鍋を見て、「はあーアメリカ人ていうのはなんてきれい好きなんだろう」こう思っていましたが、実の所ウチではほとんど料理をしていないのです。日本じゃ夕暮れ時になるとどこからかさんサンマの香ばしい匂いがしてきたり、あ、お隣さんは今日はカレーなんだなあって分かったりして、思わず自分ちの献立もカレーに決めたりなんかしちゃいますよね。そういうことがアメリカではまずあり得ない。

その代わり、夕飯時にはドーン、ドーンという音があっちこっちから聞こえてくる。さて、何の音でしょう? 正解はオーブンのドアを開け閉めする音でーす! そうです、つまり四角い箱に入った冷凍食品を暖めているのです。アメリカのオーブンのドアは重い。誰が使ってもちょっとやそっとじゃ壊れないようにしてあるから、力任せに開け閉めしないといけない。だから夕暮れになるとドーン!ドーン!のオンパレード。

でもいくらなんでも毎日TVディナーでは飽きるものです。そこで、ザ・デリバリー、出前ですね。幸いNYには世界中から色んな人種が集まっているから、ありとあらゆる献立が、電話一本で我が家で食べられちゃうわけです。チャイニーズはもちろん、タイ料理、ベトナム料理、ビルマ料理、インド料理、中近東料理、ユダヤ料理、ロシア料理、フランス料理にイタリア料理、そして日本料理。ま、はっきりいってNYの日本料理はごちゃまぜ偽物、フェイクっていう感じ。それでもニューヨーカーにとっては高値の花、異国情緒を楽しめるようです。かくしてご飯どきになると我がマンションではオーブンの開け閉めの音とデリバリーの匂いが充満するわけです。

それでも、たまーに料理をしているニューヨーカーを知っています。
犬友達のジョンに、なにげなく「今日何食べたのー?」と聞いてみたら、うれしそうに「チキンとパンだ」と答えました。「昨日は?」って聞くと、またも「チキンとパンだ」とリピート。「へー、じゃあ一昨日は?」と聞いてもやっぱり同じ答えが返ってくる。「毎日同じもの食べてるんだー」というと、ジョンはうれしそうに、「女房が土曜日にまるごとチキンを焼くんだ。それを一週間かけて食べるんだ」とのこと。それがローテーションになってて毎週土曜日だけ料理をするんだそうです。

わたしからすれば、毎日同じものを食べる、それも残り物を一週間食べ続けるということは、それこそ自分が犬にでもなったような気分になってしまう。今時、犬だってもうちょっとましなものを食べていると思うんだけれど・・・。

しかし、こういうふうに毎日毎日同じものを食べ続けるという習慣(?)はなにもジョンだけに限ったことではないようです。中学校の先生をやっているサブリナは、ミシガンの田舎からニューヨークにやって来て、何にびっくりしたかというと「ニューヨークでは毎日違う料理が食べられる!」ということだったそうです。
 
彼女は十八歳でニューヨークに引っ越してくるまで、生まれてから毎日、ビーフとポテトのメニューしか食べなかったそうな。

そういえば、アメリカの田舎に行くとレストランに野菜のメニューがない。ダイナーなんて野菜といえばフライドポテトかマッシュドポテト。こてこてに甘いホットケーキにドッカンとでかいステーキ。これがまたゴム草履食べてるのかと思うくらい固いし、おまけに塩とコショウでしか味付けがされてないからかなりまずい。

よく考えてみれば、そもそもアメリカの料理というと、その程度のメニューしか思いあたらない。とすれば、サブリナの食事だってなにも異常なことではなく、ごく普通のアメリカ人の献立ということになります。だからニューヨークでいろんな食事が楽しめると言っても、これは世界中の料理を食べることができる、というだけのこと。日本のように煮物、和え物、揚げ物、焼き物というように、豊富な調理の仕方と豊富な食材がたくさんの献立を作り上げるのに比べて、アメリカの国が、豊かな献立をもっているわけではないということに、私は気づいたのでした。マクドナルドのあのメニューも、実はアメリカという国を象徴するものだったのです。

私たち日本人からすれば、マックのハンバーガーなんて、おやつに毛が生えた程度にしか思っていませんよね。でもアメリカでは、夕暮れ時になると、あのマクドナルドの小さなテーブルに一人こしかけてゆっくりとビッグマックをほおばっている老人の姿や、親子3代でやって来ては楽しそうにしている姿を見ていると、ああ、これが彼らの大事な夕食のひとときなのだなあってしみじみしてしまい、なんだか意味もなくほろっときてしまうのは、失礼な話なのでしょうか・・・?

黒人のクリスと夕飯を一緒に食べたときのこと。お気に入りのレストランがあるというのでさっそく出かけました。みんなでビールを飲んで、前菜にバッファローウイングというケチャップのようなものをマリネした手羽先をほおばり、さてメインディッシュ。クリスはハンバーガーを頼みました。その店はハンバーガーがおすすめらしく、私もハンバーガーを。やっぱりオニオンとレタスは必須よね、なんていいながら野菜をたくさんオーダー。ところがクリスはいたってシンプルなハンバーガー。チーズとハンバーグをパンに挟むだけ。ケチャップはおろかマスタードもつけません。
「クリス、野菜は?」
「え? 野菜?」
「野菜食べないとだめよお。チーズとビーフだけじゃ栄養のバランスが悪いじゃん。」
「なんで? いつもこれだよ。」
「え! じゃあ昨日何食べたの?」
「パスタのチーズがけ。」
「……野菜食べてないの?」 
「野菜ねぇ……ああ、リンゴ。あれって野菜じゃなかったっけ?」
「リンゴはくだもの」
「あっ! いま食べてるよ。ほら、これ。」

といってビールを指差すクリス。それはあなた麦でしょ。あ、いちおう野菜でした。でもなんか違うような・・・。

私は日本で一日30品目を食べるよう「脅迫」された世代です。毎日30品目食べようと必死になって数えられ、足りないと気がめいったり、病気になっちゃったらどうしようとまで悩んだものでしたが、それがいったいこれは何?って感じ。クリスの食べる食材の種類は、一ヶ月分足しても30種類もいかないでしょう。日本人のようにたくさんの種類の食材をバランスよく食べるという考え方は、先進国アメリカではどうも通用しないようです。

たとえばユダヤ人のギラは、食べ盛りの子どもたち3人を持つおかあさんですが、彼女は子供たちには一日一種類の野菜を食べる事を義務づけていると、誇らしげにその教育方針を語ってくれました。小さい頃から、「野菜は色んな種類を、お肉の三倍は食べましょう」と教わってきた私は思わずめまいがしてしまいました。

私がもしアメリカに生まれていたなら、ハンバーガーとポテトだけで人生満足していたのかもしれません。栄養のバランスなんて面倒くさいものも知らずにすんで、毎日同じものだけを食べる。不安にかられたらビタミン剤。病気になったら医者に行き、それでも治らなければ運命、またはDNAのせいにする。

決して食べ物のせいだなんて思わないから、シンプルでいられるかもしれない。

でも、幸か不幸か日本人に生まれてしまった私は、食の豊さを知っているのです。四季折々に食卓に並ぶおかずの品々は、日々私たちの目を楽しませてくれます。春にはタラの芽のフライや菜の花のおひたし。夏はひやしそうめんやキュウリの酢の物。秋は焼きサンマにキノコ料理。冬はおでんやあったか〜いお鍋。

一方アメリカは、夏が来ようが冬が来ようが一年中ハンバーガーや冷凍食品のTVディナー。なんかちょっと寂しくないでしょうか? そう思うのは私だけかなぁ。

ちなみにアメリカ人のママの味はトマトのカンズメスープの味だと聞いたことがあります。ううっ、これもまた寂しすぎる・・・。

いやはやアメリカは、住んでみなければわからないものです。まさかこれほど貧弱な(失礼!)食生活をしていようとは夢にも思っていなかったんです。ちまたではアメリカの優れものの食品や加工品の情報が、日本の雑誌を賑わせているというのに、等の本人たちはバランスのとれた食生活ってなんのこと?食事は食べたいものだけを食べるもんじゃないの?とけろっとしている。思わず食生活へのこだわりがあるなんて、時代遅れなのかしら?とまで考えさせられちゃう。この先進国が目指す先は、きっとチューブ一つで食事ができちゃう宇宙食みたいなものになっていくんでしょう。

でも私は言いたい。やっぱり食事はおいしいほうがいい。メニューのバリエーションは少ないより、多い方がいい。その季節でしか食べられないものを楽しみたい!

食は文化っていいますよね。まさにそうだと私は思いました。その国の文化の豊かさは食の豊かさに比例するんじゃないでしょうか?アメリカはその点に関しては、いただけませんねえ。

日本は東の果てにある小さな島国だけど、そういうわけでよその国々に対するあこがれが強い。長い歴史の中で、中国から中東からヨーロッパから、そして南米からもたくさんの食材を運び込んでいつのまにか他国の食材を自分流の献立にアレンジしていっちゃう。今日本ではタイ料理やベトナム料理、マレーシア料理などの、アジア系料理が流行っていますが、これからその中から、また新しい日本料理が生まれてくるんでしょうね。たのしみだなあ〜。

こんなに食にこだわる民族ってほかにあるんでしょうか?私はNYで世界中の料理を食べましたが、ここまでいろんな国の食事を研究して、新しいものを作り上げていく国は知りません。日本料理は今でも進化し続けている料理だと宣言しちゃいます。それは日本人という勤勉で、謙虚で、学ぶ事が大好きで、好奇心大せいで、誰よりもあたらし物好きな民族が住んでいる国だからなんでしょう。

先月、8年ぶりにNYから日本に帰ってきました。スーパーマーケットにずらっと並ぶ食材の種類は、あなた、アメリカとは比較にもなりません。NYのふにゃふにゃにひしなびたものと違って、なんとまあ、ピンピンとした野菜たち! 食欲をそそる美しい陳列のしかた!NYで貧そな野菜たちを見慣れていた私は、ありがたさにうるうるしてしまいました。そこいらの小さなスーパーでさえ、NYのグルメスーパーより質が高いのです。これを文化と言わずして、何を文化というんでしょうか?

ひさしぶりに帰ってみれば、日本全体がだめだめムード。日本を徹底改造だ!とかもう終わりだとかいってますが、もうそろそろ日本をを嘆くのはやめましょう。目先の悪い部分ばっかりみつめるんじゃなくて、私たちがもともと持っていた、ものを大事にする気持ちや、あらゆるものに魂が宿ると思う心のありかたが、こんなにもすばらしい食の文化を作り上げてきたんです。もっと日本をほめてあげましょう。そして日本人であることにプライドを持ちましょうよ。

ただいま。そしてこれからもよろしく、日本。

●『ニッポン癒し天国』

●『ニッポン不安天国』

●『ニッポン祭り天国』

●『NYから帰ってきちゃった』その1

●『NYから帰ってきちゃった』その2

●『NYから帰ってきちゃった』その3

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その1

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その2

●『ニューヨークの陶芸教室』

●『ニューヨークのスカンク』

●『ニューヨークのゴボウ』

●『オハイオの田舎娘』

●『ほめちぎるアメリカ』

●『アメリカ人は猫舌?』

(C)TSUKUSHI WORKS