●『オハイオの田舎娘』 2007年東書Eネット掲載

ある日の地下鉄での出来事。 
混み合ったミッドタウン行きのNトレインの中。60年代の映画に出てきそうな古めかしいコートを着た20代の白人のお姉ちゃんが座っていた。背筋をピンと伸ばし、両手を行儀良く膝の上で重ねている。足元には、おばあさんの代から使い込まれたようなゴブラン織りのボストンバッグ。ニューヨークの地下鉄は物騒だから、バッグは必ず膝の上.....とは教わらなかったらしい。まるで今オハイオの田舎から出てきました!と言わんばかりに初々しい。眼に映るものすべてが興味津々。大きな眼をぱっちりと開いて、忙しくあちこちを見回す。その様子が、都会に住み慣れたニューヨーカーたちにとって奇妙に映ったらしい。彼女のまわり、私も含めて10人くらいの人々が、何となく彼女に意識が注がれる。 
突然、彼女は目の前に立っている見ず知らずのお兄ちゃんに「1ドル両替してくれる?」と聞いた。ニューヨークに住む親戚に公衆電話でもかけるのだろうか?お兄ちゃんは、ポケットから25セントを4つ取り出した。 
彼女は足元に置いたボストンバッグをパカッと開き、中から分厚い財布を取り出した。その中には100枚はあろうかというほどのお札の束!堂々と開いた財布の札束から、彼女は1ドル紙幣を抜き取る。思わず眼をみはるニューヨーカーたち。ここニューヨークは世界で名だたる犯罪の街。白昼堂々と、札束の入った財布を大勢の前で披露する人はそういない。おどろく都会人たちを尻目に、彼女は「サンキュー」と、にっこりと笑って紙幣とコインを交換した。コインを財布に入れバッグにもどす。 
それから彼女はすっくと立ち上がった。バッグは床においたまま。しかも口は開いたまま。当然お札の束は丸見え。バッグをまたいで、スタスタとドアの方に歩き出す。あっけにとられるニューヨーカー。みんなあんぐりと口を開けた。全員の目線が彼女に釘付けになる。「一体どうしたというのだ??」という顔つき。 
なんのことはない。彼女はドアの上にある地下鉄のマップを見に行ったのだ。そのときのみんなの顔といったら!驚くやら、あきれるやら、ため息混じりの声があちらこちらで漏れた。「はあ〜。なんという田舎娘だろうねえ。緊張感も何もあったもんじゃないよ。ま、でもいい子じゃないか。そっとしておいてやろう」そんな声が聞こえてくるようだった。 
彼女がマップを確認して自分の席に帰ってくるまでの間、まわりのニューヨーカーたちがそのバッグを見はっていてくれたのは、いうまでもない。
そして暗黙のうちに彼女の「座席」はキープしておいてくれたのだ。何とも微笑ましい光景に、私は心が温かくなった。

いつどこで何が起こってもおかしくない街、ニューヨーク。この緊張感は、ある種の連帯感を生み出す。それは知らないもの同志、暗黙のうちにお互いを守り合う、いわば「味方」のような感覚。こういう光景はこの街ではよく見かけられた。

振り返って今の日本はどうだろうか。 
肩と肩とがぶつかり合っても詫びないような、他人の存在を無視する光景がたくさんある。オハイオの田舎娘の話は、今の日本人にとって羨ましくも思えるのかもしれない。でも日本にも「袖振り合うも多生の縁」なんて、いきな言葉があったお国柄じゃないの。そんな心は今でもきっと持っているはず。他人は他人なんて言わないで、温かい心は出し惜しみせず、いつでもどこでもばらまいて、日本をあったかくしようじゃありませんか。

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