●『ほめちぎるアメリカ』 2007年東書Eネット掲載

「問題ないです。じゃ、これでいきましょう」 
依頼されたイラストを納品すると、日本のアートディレクターはこう言う。直しもなく、うまいこといった。よしっ、一個仕事は終わり!
と、ほっとするはずなのに、なぜか終わった気がしない....。なんでだろう?じーっと考える。 アメリカはどうだったっけ?

マンハッタンのミッドタウンに私のエージェント事務所はあった。6階のオフィスにやってくると、満面の笑顔で迎えられる。 
「ハ〜イ、つくし!元気?」 
「元気よ。そっちは?」 
「すべて順調だよ」 
私は、ポートフォリオケースから仕上がった作品を出して、机の上に広げる。 
「おお!」びっくりしたように、手で口を覆うエージェント。
 「なんてすごいんだ!つくし、君は天才だ!」 
演技か本気か、さだかではないが、その言葉に思わず二ヤ〜ッとする私。ほめられて嬉しくない人はいない。

アメリカに渡って7年半。納品のたびに、「Great!」「Youare the best!」「Genius!」「Extraordinarily!」。これでもかというくらい褒めちぎる。あげくに感きわまって、「I love you!」と、くる。豚もおだてりゃ、木に登る。つくしもおだてりゃ、天にも昇るってなもんです。そうやって自信をつけさせてもらったんだなあ。そうか。こうやってアメリカのアーティストは大きく育っていくんだな...。そう実感した。その癖というか、快感というかそういう習慣が残ってしまったらしい。

日本のアートディレクターに、褒め言葉はない。作品を見せると、まずどこかに問題点はないかを探す。なければオッケー。出来上がった作品の善し悪しは関係ないように見える。クライアントに指摘されるかもしれない部分だけをめざとく見つける作業に忙しいようだ。 
ねえ、せめて一言「いいね」とか「すてき」とか、作品に何か感じるものがあったら、その感想をちょこっとでも言ってくれない?その作品、けっこう頑張っちゃったんだから。それを言ってもらえるだけで「ああ、良かった」と心の中でホッとして、救われるのだ。そして次の作品作りに、ますます精を出すってもんよ。それを「問題ないです」の一言で片付けられるのって、ちょっとさびしい...。

実のところ、アメリカ人は悪いところを指摘しない。いつも褒めてばかりいる。という事は、かんじんの悪い部分がいつまでも直らないというデメリットがある。日本は、昔から悪いところを直して良くするという文化がある。怒られて怒られて、最後に「よくやった」とほめる。これがアメとムチの極意。そうやってぐぐ〜っと生徒や弟子やアーティストは、成長してきたのだ。でも近頃のニッポン人は昔のように忍耐強くないし、心も頭も相当アメリカナイズされてきているから、少々アメの量が多い方がいいのかもしれない。 
しかし気難しいニッポン人は「褒めると、つけあがるからなあ〜」と、どことなく褒める事に抵抗がある。「下手すりゃ、オレの褒め言葉で、こいつ天狗になりやがるかもしれん」と、ますます心配が広がっちゃう。「ええい、めんどくさいから、余計な事は言わんことにしよう」と、いうことになって、結局「問題ないです」に、行き着いてしまうのだ。

そんなに心配しなくても、そう簡単に人は天狗にはなれないもの。人が天狗になる事を怖れるよりも、あなたの褒め言葉ひとつが、人を生かしたり、成長させるのだ。この事の方が、よっぽど大切な事だと思う。 
そんな事にふと気がついて、うちのダンナを褒めそやしている私。今のところ、天狗になるというより、天にも昇る気分を味わっているようだ。

●『ニッポン癒し天国』

●『ニッポン不安天国』

●『ニッポン祭り天国』

●『NYから帰ってきちゃった』その1

●『NYから帰ってきちゃった』その2

●『NYから帰ってきちゃった』その3

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その1

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その2

●『ニューヨークの陶芸教室』

●『ニューヨークのスカンク』

●『ニューヨークのゴボウ』

●『オハイオの田舎娘』

●『ほめちぎるアメリカ』

●『アメリカ人は猫舌?』

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