●『ニッポン祭り天国』 2005年ステナイデ11号掲載

ゆかた、ちょうちん、きんぎょすくい。イカの丸焼き、たこ焼きソース。ニッポンの夏祭りー。幼い頃の私は、そのなんともいえないはなやかさと、色んな匂いのミックスが、胸の中でごちゃごちゃにかき混ぜられて、心かき乱され、夢心地で神社の参道を歩いていた。そしてそのどん尻に控えているのは、ニッポンのカミサマ。お賽銭をチャリーンと投げ入れ、じゃらじゃら鈴をかき鳴らす。ポンポンと手を叩いて願い事。心はコーフンのあまりなんだかわからないことを口走る。

すべてのことは、カミサマのために行われていた祭り。お神楽、お供物、お神輿三昧。その日ばかりは無礼講。カミサマを前にすれば、日頃思いを寄せる人に大胆な『行為』もオッケー牧場。ふんどし一丁はちまき巻いて、老いも若きもえじゃないかーっ!

なあんていう、はちゃめちゃなどんちゃん騒ぎはニッポンのお家芸。よその国からやって来た人から見れば、日頃おとなしいはずのニッポン人の、この変貌にびっくりする。

以前、ニューヨークの郊外でジャパンフェスティバルというものを見に行ったことがある。いわば『日本の祭り』。広場にお決まりのイカの匂い、たこ焼きソースの匂いが充満し、「ああ、私はこの匂いに飢えていたのだ・・・」と幼い頃の思いに気もそぞろ、ああ、あのなつかしい日々・・・って、あれ?なんかそんな気分になれない・・・。おかしいなあ..。

見渡せば、ゆかたを着たニッポン人アメリカ人、背中にうちわをさしてキマッている。舞台では、おばちゃんがへたくそな舞いをご披露中だし。「いやいや、そんなはずはない。たしかに条件はそろっている。さて、も一回思い出に・・・」ちょっとまてよ。何かがたらんぞ....。あ、チャリーンだ、じゃらんじゃらんだ、ポンポーンだ。そんでもって、カミサマだ!

なんと広場には、神社がないのだ。(あたりまえじゃ。ココはアメリカ)アメリカには、ワインフェスティバル、ダンスフェスティバル、スポーツフェスティバル等々、色んなフェスティバルがあるが、それはいわゆる日本の『祭り』とは意味が違うのだ。このジャパンフェスティバルは、アメリカ流方法論でやってしまったから、なんだかちぐはぐ。

やっぱりニッポンの祭りには、最後にカミサマが鎮座していなければ、しまらない。カミサマが見守ってくださるから無礼講もアリ、どんちゃん騒ぎもアリなのだ。そもそもどんちゃん騒ぎをするのは、カミサマによろこんでもらうため。ニッポン人はカミサマに踊らされているのだ。

だからアメリカのそれは、ただ出店をだらだらとうろうろするだけで、ぐるぐる回って「さて、ここら辺で終わりにするか」とテキトーに帰ることになる。アメリカ的祭りには終着点がないのだ。

ところがニッポンの祭りは、参道という一本道をまっすぐ抜けたその最後にカミサマがいる。カミサマにごあいさつをして帰るというのが暗黙のルール。そしてその行為が日本人の心を引き締めてくれる。ああ、おてんとうさんが見てるから、悪いこたあ、できねえなあ、と。 ねえ、知ってる? 神社の鳥居にかかっているしめ縄は、自然を表してるのを。縄が雲。白い紙がカミナリ。もう一つの、ぴろぴろワラがぶら下がっているのが雨。入り口に雨雲とカミナリがあり、それをくぐって参道をまっすぐぬけると、お社がある。その最後に鎮座しているのは、なあんと鏡。鏡は丸くって光ってるから、太陽だな。

ちょうどお空に向かって上がっていくと現れてくる現象が、神社の参道とお社のカタチになって、私たちが歩けるように(飛んでいけないものだから)横たわっているわけだ。

つまりバーチャル宇宙旅行だな。ステナイデの読者のみなさん、これから神社に行く時は、宇宙に飛び立つ気持ちで参りましょう。

●『ニッポン癒し天国』

●『ニッポン不安天国』

●『ニッポン祭り天国』

●『NYから帰ってきちゃった』その1

●『NYから帰ってきちゃった』その2

●『NYから帰ってきちゃった』その3

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その1

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その2

●『ニューヨークの陶芸教室』

●『ニューヨークのスカンク』

●『ニューヨークのゴボウ』

●『オハイオの田舎娘』

●『ほめちぎるアメリカ』

●『アメリカ人は猫舌?』

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